昔見た映画をふとした瞬間に思い出す事がある。

最近思い出したのが、「あなたがいたら、少女リンダ」のエミリーロイドのまなざしだった。

この映画は、デイビット・リーランド監督、主演がエミリーロイド、そしてこれが彼女の最初の主演作品となる。

リーランド監督作品では「モナリザ」が見た映画だが、しがない登場人物の人生の裏側のやるせなさや悲哀を表現する名手かもしれない。

現代のエミリー・ロイドは、突然の事故による破傷風や、精神疾患のために治療に入っているとウィキには書かれていた。

この映画で見せた、愛に飢えた孤独のまなざしが、未だに私の脳裏に焼きついている。

役者と言うものは、自分の人生が終えた後でも映像が残ると言う奇妙な仕事だ。

少女の精細さを遺した彼女のまなざしは永久に消えない。まるで、先の人生を予告するかのように。

映画のストーリーは、50年代のイギリスの海辺の田舎町、愛を与えてくれた母を亡くし、妹ばかりを可愛がる父親に反抗している。

理容学校を退学になり、寂しさに任せて次々と男性に身を任すリンダ、満たされない思いばかりが募る。

ふと知り合った中年男と付き合ううちに身ごもってしまう。

男はリンダを見放す。しばらくした後、一人でベビーカーを押すリンダがラストシーンで映し出される。

イギリスの片田舎の海辺の町、リンダが男たちと一緒にフィッシュ&チップスをほうばるシーンや、寂れた港町の風景がなんともいえず、50年代のイギリスの情景が描き出されていて見るものを釘付けにする。

あなたがいたらと言う邦題も、彼女自身が愛を求めているが得られないもどかしさ、最後に自分の分身を得る事で満足しきった表情で男たちの前を行き過ぎる情景が題名どおりの結末だったのかと納得させる。

人は、自己愛だけでは生きられない、愛とは他者との関係や共感、共鳴によって生まれる。

そこには、必ず自己犠牲を含む与える愛が存在する。

彼女は男達にそこを求めるのではなく、自分の分身としての子供を持つ事で、不完全だった心の隙間を埋める。

愛の完成形は、他者との理解、共感、自分の事のように相手を思う事ではないだろうか?

子供への自己犠牲の愛を育む事で、初めて彼女は孤独ではない、満たされた感情を持つ。

人は何によって満たされるのか?それは他者との関係性の充足にある。

それは家族であったりと言う事だろう。