私がイサム・ノグチを初めて知ったのは、学生時代だった。

当時美大生だった私は、展覧会に行くのが日課で、イサム・ノグチの回顧展が東京で行われた事もあったように、うろ覚えだが思い出している。

もともとは、フリーダ・カーロというメキシコの画家に大変興味を持ち、彼女の半生を知るうちに、イサム・ノグチという芸術家にも興味を抱くようになったのだけれど・・・

今、イサム・ノグチの本を読んでいるのだが、彼の数奇な運命、複雑な生い立ち、血というものが、芸術家になるべく宿命を持っていたのだと納得してしまう。

彼の奔放さは野口米次郎の血によるもの。

最近になって、「レオニー」という彼の母親の名前で、彼の半生を描いた映画が創られたそうだが、まだ見ていない。多分良い内容だと思うけれど、フリーダの映画にもトロツキーは登場しても、イサムノグチは出てこない。芸術家を描く上で、シンボリックな人物の出会いを割愛しているのはどうかと思う。

あの時代に混血児として生を受け、複雑な生い立ちを持ち、常に自分の居るべき場所を探す旅を続ける事が創作活動に繋がっていたのではないだろうかと思う。

作品もさることながら、半生も非常に興味深い人物ではないだろうか。

「大統領になるよりも真実を追究したい」その言葉に彼そのものの芸術性が現れている。

作品は陶芸から彫刻、ランドスケープデザイン、アーキテクトと様々なジャンルで幅広い制作活動を続け、スケールの大きな作品を残している。

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