タルコフスキーの遺作

サクリファイスは犠牲と言う意味

俳優の名声を捨てたアレクサンデルは、妻アデライデと娘マルタ、息子の少年(喉の手術をしたため、映画の最後まで口をきけない設定)と暮らしている。家には小間使いのジュリア、召使いのマリアもいる。アデライデは夫への不満を抱き、夫婦は不仲である。今日はアレクサンデルの誕生日。彼は”子供”と一緒に枯れた松の木を植え、枯れた木に3年間水をやり続けて甦らせた僧の伝説を話す。

その日、郵便局員オットーや医師ヴィクトルといった友達も交えて誕生会を開くことになっていた。オットーが持ってきたプレゼントの古い地図が高価だからと辞退するアレクサンデルに、犠牲がなければプレゼントではないとオットーが言う。

白夜の屋外に、アレクサンデルは自宅そっくりの小さな家を見つけるが、帰宅途中のマリアに、それが子供が誕生日のプレゼントに作ったものだと教えられる。子供は自宅の2階のベッドで眠っていた。アレクサンデルが階下に降りると、サロンにあるテレビが突然、核戦争が勃発し非常事態となったことを伝えた。しかし停電により外部との連絡が途絶えてしまい、人々はパニックに陥った。アデライデはヴィクトルから鎮静剤を打たれ、自分の願望といつも逆のことをしてきたと語る。彼女は子供を起こそうとするがジュリアに止められる。アレクサンデルはヴィクトルの持ち物にピストルがあるのを見つける。子供は眠っている。その頃ヴィクトルの前でマルタが衣服を脱いで彼を誘っている。

神を信じなかったアレクサンデルが初めて、家族も家も自分の持つ総ての物を放棄するから愛する者を守ってほしいと神に祈り、力尽きてソファに倒れ込む。眠っていたのを起こしたオットーから「実は魔女のマリアと寝なければ世界は救われない」と教えられると、アレクサンデルはマリアの家を訪ねた。アレクサンデルが語る母の思い出を、だまって聞いているマリア。マリアの前でピストルをこめかみに当て、救ってほしいと訴えるアレクサンデル。2人は抱き合った。

何事もなかったように朝が訪れたのを、アレクサンデルは自分が魔女と寝たからだと、そしてそのことを教えてもらえたのはこれから自分が払う犠牲のおかげだと考えた。(ウィキから引用)

そういうストーリーだった。

ちょうど、チェルノブイリ原発事故の数年前に作られた映画だと言う。

まるで、全てを予感するような、黙示録的な映画・・・

タルコフスキーは詩人だけに、叙情的とも言える自然描写、とりわけ「水」の象徴性が印象深い。深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を製作した。

ノスタルジアも好きな映画の一つだ。

福島の事態を考えれば考えるほど、この映画を思い出す。

アートを巡る旅