1915年、パリ。路上で歌う母に養われるエディット・ジョヴァンナ・ガションは、祖母が経営する娼館に預けられる。復員した父に引き取られ、大道芸をする父の手伝いをしながら人前で歌うことを覚えていったエディット(マリオン・コティヤール)は、1935年、人生の転機を迎える。パリ市内の名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)にスカウトされ、エディット・ピアフという名で歌手デビューを果たすのだった。舞台は大成功し、ピアフは一躍時の人となるが、翌36年、ルプレは何者かに殺害される。後ろ盾を失い、一時は容疑者扱いもされたピアフを救ったのは、著名な作曲家レイモン・アッソだった。アッソから厳しい特訓を受けて復帰コンサートを開いたピアフは、みごとシャンソン界にカムバックする。歌手として栄華を極めたピアフは、1947年、ボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダンと人生最大の恋に落ちる。セルダンには妻子がいたが、ふたりは急速に惹かれ合い、ピアフの歌も円熟味を増してゆく。しかし1949年、セルダンの乗った飛行機が墜落する。失意の中で、ピアフは代表作となる新曲『愛の賛歌』をステージで歌い、喝采を受ける。その後もピアフは名曲を歌い続ける一方で、酒やドラッグに溺れる破滅的な生活を送り、1963年、47歳の生涯を閉じるのだった

数年前の映画、アカデミー賞も受賞したと覚えている。

エディット・ピアフが好きで、彼女の歌を聞くとフランス語が理解できなくても、情景が浮かんでくるほど情感がこもった独特の歌声に魅了される。

マリオン・コティヤールの生き写しのような名演には、度肝を抜かれた。

レイ・チャールズの半生を描いた「Ray」にも非常に感動したが、同様に本物の芸術家は辛酸さえ輝きに変える偉大さがある。

印象的だったのが、ピアフがバーで食事をしていたときに、自分の実の母親にたかられるシーン。

歯牙にもかけない潔さで追う払う。子供のときに捨てられ、娼婦に育てられた過去を持つピアフにとって母でさえも信用できない相手だった。

反対に眼病を患った子供時代、娼婦たちに献身的に世話されるピアフの姿も印象に残った。

不幸を経験しなければ、あのように歌えなかったのかもしれない。

アートを巡る旅

光が強ければ強いほど、闇も深い

天性の才能を持って生まれると言う事はそういうことなのだろう。